すずこうだより2026 9月号 酒・米NO・297 令和8年

すずこうだより2026

月号 酒・米NO・297 令和8年

今年の残暑は、例年より早く終わるようで秋が少し長くなる

予報です。これまでは秋が短くて、いきなり冬になってしま

う2極化のパターンがここ数年、続いていましたので今年は

秋を長く楽しむことが出来そうです。先月の13日お盆の真

っ最中に千葉県を中心とした災害豪雨が発生して、膨大な被

害が発生しました。各地域で冠水が発生して車の中にとり残

されて、脱出することが出来ずにお亡くなりになられた方も

多くいました。水没してしまった車が千葉市内だけでもざっ

と2500台ほどあったようで、県内全体ですと相当な台数

になっています。いつも通っている道がいきなり冠水をして

しまって、車内に水が入り数分で水没してしまい、お亡くな

りになってしまった方も数名おられました。万が一に備えて

これからは免許書を更新の際に水没したらどうするかの映像

を流すことも必要です。今年は、梨とぶどうが豊作のようで

多く出回っており、甘くておいしいようです。農家の被害も

収穫まじかの果物をごっそり盗まれるケースが多く発生して

おり、深刻な問題です。政府が海外からの農業実習生を多く

受け入れたのも原因の一つのようです。苗などを海外にも持

ち出されて、本でしか栽培をされていない品種が海外で発売

されているケースも増えています。夏の甲子園は和歌山県の

智弁和歌山高校が4度目の優勝で幕を閉じました。今回から

ナイターを取り入れるなど、勝も午前中に行うことで暑さ対

策を試みた大会でした。ビデオ判定も加わり、時間は掛かり

ますが正確な判定が望めます。今月の19日から名古屋市で

アジア競技大会が開催されます。32ぶりの日本開催となっ

て盛り上がりをみせています。どの競技でも世代交代が進み

若手が中心になっています。選手の活躍がとても楽しみです。

 

酒屋の雑学151

甕と木桶の関係

発酵食品でよく使われているのが伝統的な甕壺と木桶

になります。現在でも九州地方で焼酎、泡盛、もろみ酢、

黒酢などに甕が使われています。木桶は日本酒、味噌、醤油

などの伝統製法で使われています。元々は甕しかなかった

のですが鎌倉時代後期~室町時代初期にかけて、木桶を作る

技術が発展して、普及したと言われています。軽くて大きな

木桶は割れることが無く、甕より大きいもので生産効率の面

ですぐれていなのと蓋をして運べる携行性の高さも優れてい

て、時代の経るごとに甕は木桶に代わって行ったようです。

リサイクルも兼ねていて、最初に、酒屋が桶屋に発注して

新品を作ってもらいます。約30年位使ってあと、味噌・

醤油屋がその年季の入った木桶を買い取り、以後、100年

はそのまま使い続けるシステムが成立していました。

時代と共に木桶職人が減り貴重な存在になっています。

 

邪馬台国論争

日本が「日本」と呼ばれるようになったのは、奈良時代から

のようです。しかし、それ以前の日本に、2つの国が存在を

していました。ひとつは西の「大和国」もう一つは大和国よ

りもはるかに前に誕生をしていた東の「日髙見国」(ひだかみ

こく/ひたかみのくに)です。その国が誕生をしたのは、古く

縄文時代です。「日本書紀」などにも登場します。日が昇る、

高く輝く国を意味します。日高の地名や神社が各地に多いの

もここからきているようです。その時代の勢力を感じます。

昔から邪馬台国論争は、中国の歴史書「魏志倭人伝」に記さ

れた、女王・卑弥呼が治めた邪馬台国をめぐる日本史最大の

論争です。主に奈良県を中心とする「近畿説」と、佐賀県、・

福岡県を中心とする「九州説」が長年対立をしています。

最近になって分かって来たようですが、結果的にはどちらも

正しいようです。倭国大乱の時代に九州に移った大和国でし

たが、この倭国大乱に勝利した大和国はふたたび奈良へと戻

り、そこで大和国を復興させていたのです。古代の日本では、

天皇の御所(皇居)がある場所を「都」と定めていました。

卑弥呼と呼ばれていた祭祀王「ヤマトトモモソヒメ」もまた、

九州から奈良へと移動をしているのです。統治王と祭祀王の

いる場所こそが大和国=邪馬台国なのです。「正統竹内文書」

によると、「邪馬台国」と呼ばれた国は、奈良から九州、そ

して再び奈良へと移動していたとされています。論争はどち

らも正しく、天皇の住む国の都こそが大和国だったと考えら

れます。卑弥呼は女帝国を率いていたような言われ方をされ

ていますが、少し誤解があるようです。女王ではあったよう

ですが王様も存在をしていたようです。考元天皇の長女であ

ったとされる卑弥呼は、次の「開化天皇」、またその次の天皇

「崇神天皇」の時代までも、祭祀王として君臨していたよう

です。天皇は古来は統治王であって、古来の日本では祭祀王

の方が位が上であったことから大和国を封じっていたとされ

るようになり、強い女を例えて卑弥呼と呼ばれるようになっ

ていったのでしょう。魏志倭人伝によると西暦248年に亡

くなったとあり、再び女王となったのが13歳の台与(トヨ)

という少女であったと記載されています。混乱の原因は男性

を祭祀王にしていたからであり、神武天皇の時代のように再

び祭祀王を女性にすることで、国は治まるとことになってい

たようです。どの時代もそうですが、北条政子も戦国時代を

裏で操っていたとされ、強くて賢い女性の象徴の一人として

例えられます。また、現在の令和の時代も初の女性の総理大

臣高市さんが誕生して、財務大臣も女性初の片山さんがなり、

何か昔の流れに戻っているように感じます。改革を進めて、

暮しやすい世の中に戻してもらいたいものです。歴史は諸説

ありますが、戦後学校で学んだものは嘘が多かったようです。

 

すずこう酒店

 〒132-0022 東京都江戸川区大杉5-2-13

TEL    03(3652)7700

FAX    03(5607)8816

 E-mail:merlot@world.ocn.ne.jp

   Facebook: Facebook.com/suzukou1966

ホームページ:suzuko1966.com

Insuragram @suzukou_sake